西部 邁 思想

Add: julofa88 - Date: 2020-12-17 14:29:11 - Views: 3339 - Clicks: 8163

ここまで西部の思想を概観してきたところ、「衆愚政治」に対する批判や「価値の絶対的基準」を措定する姿勢など、エリート主義的な匂いを感じた人もいるのではないだろうか。 しかし、西部は「自己」に対しても徹底的な懐疑の目を差し向ける。 『私の言うことを大衆蔑視と片づけてもらいたくない。半分本気で言うのだが、私が蔑視しているのは自分自身なのだ』(p203) 『自分を信じたくないというのではない。最も信じたいのは自分であるが、その自分こそ最も信じられないものだと私は思うのである』(p192) 自分すらも信じられない。だからこそ西部は、自分も含めた国民ではなく、伝統に主権を委ねようとする。 さて、ここにきて西部の保守思想が最もよくあらわれている一文を、少し長いが引用しよう。 『言葉・伝統・国家のうちに是非とも解体させなければならないもの、是非ともそれから自立しなければならないもの、があることを私は認める。しかし、その解体と自立の作業すらもが言論や習慣や規則にもとづいてなされることを考慮に入れると、言葉や伝統や国家のうちに解体させてはいけないもの、それに依存しなければならぬものがあるというしかないのではないか。もっと言うと、解体と保守そして自立と依存のあいだの微妙な平衡点を指し示してくれるのが真の言論であり真の習慣であり真の規則だということである』(p193) 西部はこうも言っている。 『伝統とは、相対化の果てに絶対を展望すると同時に、絶対をめざしつつも相対的であるを免れえない、という精神の往復運動に平衡を与える文体上の知恵のことであろう。それは求心的であるとともに遠心的であり、閉じられているとともに開かれている』(p221) この絶妙な平衡感覚、二面性を引き受けて苦悩する態度こそ、左右の対立を超えた西部流保守主義の強さであり核心ではないだろうか。このような思想は、例えば「自国のナショナリティは他国のそれとの差異であり関係でもあるのだから、ナショナリティの発見はインターナショナリティの発見でもある」(p185)というような言葉として、随所に見受けられる。 西部は決して現実主義者ではない。むしろ、徹底的に「理想的人間」を追い求めたが故に、「理想」と「現実」のどちらかに安易に流れることをよしとせず、およそ不可能な双方の折衷に挑み続けることを選んだ。 恐らく西部が最も恐れていたのは. 西部邁さんの『保守思想と日本共産党』、「賢い愚か者」の未来についてー大塚耕平「民進党」代表、定例会見 by 酒井佑人. 人生を教えてくれた恩師「西部邁」 Amazon unlimited 西部 邁 思想 で西部邁さんの「妻と僕 寓話と化す我らの死」を読んだ。 西部邁さんは保守思想の評論家。 平成30年1月に多摩川で入水自殺された。 享年78歳。 私が西部邁先生を初めて知ったのは討論番組の「朝まで生. 西部邁×藤井聡「築土構木の思想:前編」(最終回シリーズ)『国家、国府、経済、危機、そして土木』 出演:京都大学大学院教授 藤井聡氏. ・ 何かお知らせがあれば、ここに記載致します。 ・販売している動画をアップデートする時、ここと、twitterでお伝えします(希望の購入者の方は、ダウンロードページから新バージョンを手に入れてください). 保守とリベラルが対立する現代の諸問題は、歴史認識に関わるものでさえ、是々非々で解決すべき単なる「事件」として扱われているように感じる。 確かに、わざわざ思想の源流まで遡って議論する必要はないかもしれない。また、冒頭でも述べたように、現代の保守論壇は、西部のような伝統的保守論壇とは微妙に様相が異なる。 しかし、いま西部邁の「保守本流」を理解することは、日に日に分極化・過激化していく左右の対立を超えた、ひとつ上の次元で議論する手がかりになるのではないかと僕は考えている。そして西部流の保守が現代の新保守とどのように異なるのか、是非思索してみて欲しい。 さて、最後に、本記事のたたき台として引用してきた『日本の保守思想』の意匠について付記しておこう。 本書は、福沢諭吉や吉本隆明といった戦後日本の論壇を彩った人物を取り上げ、彼らの思想を保守主義の視点からときに賛美し、ときに痛烈な批判を加えて検討するという内容だ。 特筆すべきは、西部邁の文章の読みやすさである。本書を読むとわかるのだが、西部は知識人然とした無駄に迂遠な表現は嫌いらしく、ズバッと明快に語る。それでいて不快に感じないのは、「私が蔑視しているのは自分自身なのだ」と語るように、どこかナイーブな人間臭さとユーモアが溢れているからだろう。 文章から感じ取れる人物像と思想が一致しているだけに、是非原文を読んで欲しいと思う。 余談だが、西部邁のWikipediaに掲載されている「好き嫌い」の表がおもしろい。本書を読んだあとに再度見てみると、なるほどな、と思えるから不思議だ。.

敗戦後のアメリカ占領下での民主化と、その後の高度経済成長を経て、大衆が圧倒的な力を持つようになった社会を、西部は「高度大衆社会」と呼んだ。彼の言う大衆とは、《産業の産物である物質的幸福と民主制の成果である社会的平等とを、いささかも懐疑することなく、ひたすらに享受し、やみくもに追求する》世の多数派を指した(西部邁『大衆への反逆』)。 大衆はすでに政治、産業、文化とあらゆる方面を支配しており、それを批判することはタブーとされた。西部は1980年、新聞への寄稿のなかで、そのタブーを侵して大衆批判をすることを宣言する(「&39;80年代を生きる」、『大衆への反逆』所収)。このとき彼がしきりに引用したのが、大衆批判の先達である20世紀前半のスペインの哲学者オルテガだ。「“高度大衆社会”批判——オルテガとの対話」(『大衆への反逆』所収)と題する論文で、オルテガについて書いた次の一文は、まるで彼自身の行く末を暗示していたようにも読める。 《少し皮肉なことに、オルテガは知識人のための知識というものを軽蔑し、大衆の直中にいようと努力した人である。(中略)新聞・雑誌・講演などがその主要な活動舞台であった。その意味で彼は大衆と共にいた。しかし、一八九八年の米西戦争の敗北後にスペインをつつんだ憂うつ、苦悩、疲弊に巻きこまれることを拒んだし、また、敗北感にたいする反動としての過剰な愛国心や伝統への退嬰に与することもなかった。その意味で彼は大衆から離れて独りでいた》 西部もまた、大衆への迎合を拒みつつも、新聞・雑誌・講演・テレビと、大衆のただなかで著述活動を展開した。そのおかげでアカデミズムの世界では、ジャーナリズム寄りだと疎まれることも少なくなかった。他方で、左翼からは保守反動と呼ばれ、保守派や右翼からは元左翼過激派の反米主義者と批判されることもしばしばであった。 東大在職中(1986年より教授)の西部は経済学者という肩書を持ってはいたが、いかなる学会にも入らなかった。そこには知識人の在り方に対する疑念があった。社会が複雑に機能分化した現代にあって、知識人のなかでも、物事の全貌をまったく洞察することなくその断片だけ取り出してみせる「専門人」が幅を利かせるようになった。こうした傾向に対し、彼は「専門を失くすのが俺の専門」と言ってはばからず、人間社会の全体像を描くことを追究し続ける。 そこへ来て. 保守派の論客として知られた評論家の西部邁(年1月21日没、78歳)は、1995年2月、オウム真理教から、教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)とウラジオストック放送で流すための対談を依頼された。麻原とはかつてテレビ朝日の討論番組『朝まで生テレビ!』で一緒になり、その発言に怪しげなものを感じていたという。それでも、自分と立場や意見を異にする者との対話を好む西部は、対談を引き受けようと思った。 しかし、依頼の手紙を受け取ったときはあいにくひどい宿酔で、返事を遅らせる。そこへ来て、オウムから雑誌類がどっさり届けられ、夫人が異変に気づいた。雑誌には「自衛隊が毒ガスを撒いている」などとあまりに奇妙なことがたくさん書かれており、それに彼女は「少し気をつけたほうがいいのではないか」と夫に忠告したのだ。西部はこれを受け、依頼には返事をしないで放っておくことにする。夫人の予感は的中し、それから1週間も経たずして、地下鉄サリン事件が起こった。もし対談に応じていたのなら、その内容など関係なしに世間からは「オウムの支持者」の烙印を押され、発言の場を失っていただろうと、彼は忠告してくれた妻に感謝したという。 オウムとの一件は極端な例だが、西部はできるかぎり幅広く人間とつき合うことを旨とした。たとえば、思想的に相違も多い評論家の佐高信とはテレビのCS放送で対談番組を3年にわたり担当し、書籍化もされている。亡くなる前月には、漫才師の村本大輔(ウーマンラッシュアワー)との対談が週刊誌に掲載された。アウトローとのつきあいもあり、札幌でやくざの親分にもなった高校時代の唯一の親友について『友情』(年)と題してエッセイにまとめている。彼によれば、人間関係の広さは《知識は人間の生を母体とするという考えからして当然のこと》であった(西部邁『ファシスタたらんとした者』)。 意見の違う者とのあいだでは、当然ながら論争も生じたが、そこで大事にしたのはユーモアだった。ただし、西部の言うユーモアは、単なるしゃれや諧謔とは異なる。これはイギリスの作家・批評家チェスタートン(西部は折に触れてこの人物の言葉を引用した)がユーモアとウィットを区別したのを踏まえたものだ。彼は次のように説明する。 《僕なりの解釈でいうと、ユーモアというのは自分を超えたものの存在を想定して、しかし自分はそれに近づけないという絶望が. 西部は、日本の「民主主義も」口を極めて批判している。しかし、全体主義への回帰を意味するのではなく、むしろ「民主主義には、民主主義の名によって民主主義をすすんで放棄し、全権を独裁者に委ねるという選択をする可能性すらあるのだ」(p80)という問題意識からきている。 西部の民主主義への懐疑は、次の言葉に端的にあらわれている。 『主権とは「何ものによっても制限されることのない最高権力」のことであり、そんな凄い権力は、天皇という個人においてであれ、特権階級という少数者においてであれ、国民という多数者においてであれ、所有されてはいけないものだ』(p60) 西部からすれば、国民主権とは、容易に衆愚政治に陥る概念なのだ。戦後日本において「民主主義」を批判することは「ファシズム」と捉えられがちだが、普通選挙のように「権利」や「平等」に重きを置いて、手続き的な「正統性」さえあればその結果を正しいものと考える態度を、西部は「日和見的」だと切って捨てる。 その意味で、西部は「寡頭支配と民衆支配のあいだ」を橋渡しする「指導者民本主義」こそ成熟したデモクラシーであり、「日本にあってとことん蹉跌(さてつ)したもののひとつ」と考える。 では、最高権力たる主権は誰に帰属するべきなのか。主権とは誰にも所有できないのだから、実体のない抽象的な存在に帰属させるしかない。 その抽象的な存在こそ、保守主義にとって最も重要なタームである「伝統」だ。 伝統に主権を持たせること、それはつまり、いままでの日本を形作ってきた「日本人」すべてに主権を与える「死者の民主主義」である。そしてこれに対立するのが、個々人の欲望を充足することを至上命題とし、「歴史」を足蹴にする「生者の民主主義」なのだ。 『国民とは、実は、歴史上の総国民のことであったのだ。したがって「国民の意志」なるものはそれら総国民の残した「歴史の知恵」のことである』(p68) 民主主義の議論からは、西部の天皇観もうかがえる。 『このような存在をさして国民というなら国民主権を謳って一向に構わないし、またこの存在を象徴するものをさして天皇というのなら、天皇主権を憲法に謳ってもよいわけだ。それゆえ、わが憲法の第一条における「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という文章は、正しくは次のように読まれるべきなのだ。つまり「天皇の地位は、主権の損する日本. 日本における思想の左右は、「革新」と「保守」と言い換えて差し支えないだろう。 革新、またはリベラルな思想の重要なイデオロギーとして、「価値相対主義」が挙げられる。これも、西部にとっては許せない「欲望絶対主義」の要因のひとつだ。 西部は、「価値の絶対的基準」を措定し、「良く生きることに関心を持つのがまっとうな人間である」とした。そしてその対極にあるのが、「生きることそれ自体」に価値を与える戦後の「価値相対主義」である。 「ヒューマニズム」とは、西部にとってみれば「欲望の解放」の言い訳に他ならない。 『価値の絶対基準なんぞみつかりはしないのさと構えて、流行に沿った欲望や実行しやすい欲望にとりあえずとびつき、そしてそれに飽きれば、次の流行と次の衝動をひたすら待つ』(p13~p14) このような野放図な生き方を西部は肯定しない。保守主義が「福祉国家」を批判するのも、「生きることそれ自体」を賛美しようとする安直なヒューマニズムに対する懐疑ゆえなのだ。 では、西部にとって、人間が依拠するべき価値の絶対的基準とはなにか。もうお分かりだろうが、それが「伝統」である。 西部の主張は、一見すると奇妙だ。価値相対主義こそ、不断に自己の価値判断を問い続ける再帰的かつ禁欲的な態度に思える。一方で、人間の価値判断を一足飛びに「伝統」に準拠しようとする保守主義は、なんとも短絡的ではないか。 だが、保守思想の核心部分とは、価値の絶対的基準を求める「態度」にこそあるのだと僕は考える。.

西部邁氏追悼 ――ひとつの回想/ 佐伯啓思; 思想家・西部邁の出発点/富岡幸一郎. 西部邁 述「世界の思想の連峰を眺めると、保守思想の尾根なのです」、『本の本音』高橋誠・森恵子 編著、生活情報センター、年9月。 isbn。 『憲法の論点 『正論』傑作選』『正論』編集部編、産経新聞ニュースサービス、年10月。. 西部邁の自殺理由は? 西部邁さんは、 保守派・保守思想 といういわゆる伝統・習慣・考えなどの昔からの流れを基本に大切にする姿勢。 革命や異例な考えに反するという立場の評論家でそれをもとに色んな番組で持論を展開していました。.

第ii部 西部邁を追悼す(森田実ほか50名) 第iii部 付録(略年表、書誌ほか各種資料) 巻頭写真集:西部邁アルバム 第i部 西部邁を論ず. See full list on nishibesusumu-itokan-no-shisou. See full list on cakes. 西部邁さんの著書、待望の電子書籍化! 重症のガンに冒され、死の淵に立つ妻! list|HMV&BOOKS online コンビニ受け取り送料無料! Pontaポイント使えます! 支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!. 西部自身はこう書いている。「思想とは、物事を区分けし、そして道を立てつつ、言葉による表現活動としての人間の生に形を与えようとする営みのことである」。 本書は明治から現代におよぶ13人の思想家をとりあげて、これに論評を加えた。.

西部邁の思想 「もし、金正恩のような民衆を虐殺する独裁者が現れたら、僕はテロを起こして必ず殺す」 とあの年齢で言っていたのです。 これが西部邁の強さです。. 西部 邁 思想 西部邁 思想 西部 邁(にしべ すすむ、1939年(昭和14年)3月15日1 - 年(平成30年)1月21日2)は、日本の保守派の評論家。. 西部邁『思想の英雄たち』 ここも実に示唆に富んだ表現であるとともに今回のコロナ騒動でもありましたね。 しっかりと、ウィルスや細菌について学び、検査や検査陽生、重症者、死者などの計算を自分で行わず、ただ、ワイドショーが単純な言葉で恐怖. 西部邁 | 年05月発売 | 後進に託す、西部思想の集大成! 西部邁の思想の出発点は、戦後日本の近代合理主義に対する批判である。 日本は敗戦後、米国に追いつけ追い越せとばかりに「平和と民主」、そして「進歩」を至上価値に掲げて急速に発展し、先進国のひとつに数えられるまでになった。しかし、西部の目には、その狂騒的ともいえる戦後日本のめまぐるしい発展が、欲望に忠実な「適応としての生」の追求に明け暮れる空疎なものに見えた。 日本の技術の発展を支えた「合理主義」は、戦後日本が西欧から輸入した思想だ。しかし、日本はアメリカナイゼーションという形で外発的かつ急速な発展を遂げたために、西欧の表面的な技術や思想は模倣しえたが、「神は死んだ」というニーチェの言葉を皮切りに西欧が積み上げてきた「近代合理主義」への懐疑・反省の歴史を無視してしまった。更に悪いことには、「平和主義」を掲げ、過去の戦争から目を背け、戦前と戦後の伝統や文化を徹底的に断絶した。 この無反省に「進歩」を追い求め、アイデンティティを喪失した戦後の日本こそ、西部の最も憎むべき思想的「敵」なのである。. 追悼:西部邁先生 「思い出すことなど」坂井素思 左右社の放送大学叢書『西部邁の経済思想入門』をお書きになった西部邁先生が逝去された。先生はかつて人生の十五年周期説を唱えていた。. 「平成とともにグローバリズムは終わる。壮大な歴史の動きが国民国家をふたたび浮上させた。世界標準なんぞ冗談じゃない、いまこそ日本論だ、と僕は思ったのです」ーー生前、最後に語り尽くした全二十章!・本書は昨年晩秋、西部.

西部邁は1939年3月、北海道長万部に生まれ、現在の札幌市厚別区で育った。生家には、高校2年のとき突然、世界文学全集がそろい始めるまで本らしいものはなく、彼に政治的・思想的な雰囲気は皆無だった。それが、一浪して再び東京大学を受験するまでの1年間、家に閉じこもって勉強をするうちに、《まったくどういうわけか、東大に入ったら自分は学生運動とかいうものをすることになるのだろうと確信しはじめていた》という(西部邁『六〇年安保』)。 1958年4月に東大教養学部(駒場)に入ると、確信どおり学生運動に携わるようになる。やがて先輩の誘いで共産党に入るが、わずか4ヵ月で除名される。このころ、共産党中央と学生党員グループが路線対立から衝突、同年12月には党を除名された全学連(全日本学生自治会総連合)幹部を中心にブント(共産主義者同盟)が結成され、西部もこれに参加した。ブントは、既存の左翼政党を批判・否定し、独自に社会変革をめざす新左翼の走りとされ、1960年の日米安全保障条約の改定に際してはその反対運動(60年安保闘争)の急先鋒となった。そのなかで西部は入学して1年半後には自治会委員長、都学連副委員長と全学連中執を兼ね、闘争の最前線に立つことになる。 安保闘争は、1960年6月23日に新安保条約が国会で自然承認されたことで終焉したが、西部は政治活動により逮捕・起訴・保釈を繰り返す。60年11月に4ヵ月間の拘留から保釈されたあと、翌年3月には「戦線逃亡」を宣言、左翼過激派と訣別した。それから7年、3つの裁判で被告人となり、この間、64年に東大経済学部を卒業したのを機に結婚する。裁判はいずれも執行猶予がつき、実刑は免れた。 東大を卒業すると、同大学院経済学研究科修士課程に進んで新古典派経済学を専攻し、修了後は1970年より横浜国立大学の助教授を務める。裁判中の20代後半から荒んだ生活を送っていた西部は、職に就いてもなお深酒と博打にふけっていた。だが、1972年、新左翼の一党派である連合赤軍の組織内でのリンチ殺人事件が発覚すると、活動家時代の自分と重ね合わせ衝撃を受ける。10年間を無為に過ごしてきたことを恥じた彼は、ちょうど母校の東大教養学部の助教授に就任するタイミングでもあり、ふしだらな遊びを一切やめ、哲学・社会学・政治学・心理学・歴史学・文化人類学・言語学・記号学など、ありとあらゆ. 『日本の自主独立(核武装)』を訴える西部邁氏(保守)と伊藤貫氏(リベラル)の思想「僕のかすかな希望は、僕が生きている間に─あと何年か知り. 田中秀臣 保守派を代表する論客の西部邁(すすむ)氏が自殺したという報道は、多くの人たちに驚きと悲しみ、そして喪失感をもたらした。筆者にとって西部氏の発言は、主にその「経済論」を中心に1980年代初頭からなじんできたものである。 経済問題の文脈で理解するとどうなるか 過剰. 販売動画一覧 「あと10年以内に日本は消滅する」 (日本では論じられない)日本が戦争に負けた本当の原因; 米イ戦争が起きると日本滅亡①~⑤(まとめ買い). 荘子itさんが年6月17日放送のj-wave『sonar musc』に出演。あっこゴリラさんと西部邁さんの『西部邁 最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」 』について話していました。. See full list on gotamag. 54 ネット右翼のような典型的な大衆は、明らかに死者たちを冒涜しています。 ネットで真実を知ったつもりの彼らは、「輿論」のような現実と伝統に立脚した「平衡の叡智」なんて持ち合わせていません。.

21 23:39 更新 【西部邁さん死去】 能動的、命かけ「保守のための改革」思想継承 左右. 日本で無視され続けてきた西欧近代のひとつの側面を、代表的な思想家を題材にとりながら鮮かに分析し、未知の世紀への. 「近代化への警戒」が「西欧思想の屋台骨」として、これに依拠する西田邁氏の保守思想は、「近代」そして「近代科学」を相対化できるのだろうか――。 西部 邁 思想 西部 邁 思想 かつて西部邁さんは『経済倫理学序説』で、ケインズが到達した点とその限界を指摘していた。. com/マル激トーク・オン・ディマンド 第307回(年2月16日)西部邁流、保守主義のすすめゲスト:西部邁氏. 西部邁氏(以下、親しみを込めて「さん」と呼ぶ)を「保守」と呼ぶ人が多い。ご本人もそう規定されていたようだが、私には「過激なニヒリスト」と映る。これは、西部さんが非主流派系左翼の「共産主義者同盟(ブント. Posted on 年1月27日 by Henri Kenji OIKAWA in 政治 // 0 Comments. · 『西部邁の病気がヤバい!手袋をしてた理由の掌蹠膿疱症とは?』 評論家の西部邁さんが亡くりましたね。 ニュースでは川で身を投げたと報じられてます。.

文字の大きさ 小 中 大 印刷. Amazonで西部 邁の思想の英雄たち―保守の源流をたずねて。アマゾンならポイント還元本が多数。西部 邁作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. The latest tweets from 西部邁は言うまでもなく、現代日本の大衆社会、大衆人を批判し続けた思想家でした。 そのような思想家の西部邁にとっておそらく最も望ましい死に方とは、大衆人に心の底から憎まれ、敵視され、三島由紀夫のように大衆からヤジられ批難罵倒されながら. 西部 邁 思想 」に出演している西部邁さんを見ていただけにニュースを見た瞬間、ホントに驚きましたよ! しかも、西部邁さんが亡くなった原因を調べていると、なんでも川に飛び込んで自殺したというでは. ライフ ライフ pr 記事詳細. 「西部邁 & 伊藤貫」の思想 Youtubeチャンネルのリアルタイム登録者数・再生回数と推移、ランキング,推定収益などの統計情報 - YouTube分析ツールNoxInfluencer(ノックスインフルエンサー). 西部邁の経済思想入門 - 西部邁 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!.

この本は、平成8年(1996年)、西部邁先生が57歳の時にに出版されたものです。 この本は、西部先生のその他の書籍と大いに一線を画すもので、西部先生が認識する、文字通りの「知性の構造」を84枚もの図を使いながら描写したもの。.

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